第59巻 第4号

経済地理学年報 Vol.59 No.4

特集 経済地理学の本質を考える

■ 記念講演

経済地理学の「本質」とは何か?
 …… 山本健兒 1(377)

資本主義の地理学的再考察
 …… エリック・シェパード 18(394)

■ 大会報告論文

経済地理学方法論の軌跡と展望
 …… 松原 宏 43(419)

産業地理の現実と経済地理学の視点
 …… 長尾謙吉 62(438)

経済地理学における制度・文化的視点,ネットワーク的視点,関係論的視点
 …… 水野真彦 78(454)

経済地理学における生態学的認識論と2 つの「埋め込み」
 …… 中澤高志 92(468)

■ 大会記事

[記念講演会] 経済地理学の本質

[大会シンポジウム] 経済地理学の本質を考える
 …… 大会実行委員会 113(489)

[ラウンドテーブル1] 日本の経済地理学研究:その源流を探る
 …… 千葉立也・加藤和暢・小田宏信・竹内淳彦 127(503)

[ラウンドテーブル2] 脱成長時代の流通と消費の空間
 …… 兼子 純・土屋 純・池田真志・山口 晋・半澤誠司 130(506)

[大会エクスカーション報告] 「台東・墨田─地域の伝統と革新」
 …… 山本俊一郎・山本匡毅・遠藤貴美子・小田宏信 134(510)

■ 学会記事

 …… 135(511)

要旨

経済地理学の「本質」とは何か?

 …… 山本健兒

 本稿は,経済地理学会第60回大会実行委員会から与えられた報告課題に,筆者なりに答えるものである.そのために,アングロサクソン世界での経済地理学の半世紀を回顧したScott( 2000),ドイツの経済地理学を回顧して関係論的経済地理学を展望したBathelt and Gluckler( 2003),そして日本の経済地理学の半世紀を回顧して21世紀のそれを展望した矢田( 2003) を主たる検討材料とし,これらと筆者が直接教えを受けた幾人かの経済地理学者の考えを踏まえて,経済地理学の「本質」に関する筆者なりの考え方を示す.

 欧米の経済地理学とは異なり,日本の経済地理学は多様性に富んでおり,地誌から理論計量,そして関係論的経済地理学へと転回したわけではない.むしろ,少なくとも経済地理学会創立当初から現在に至るまでその3 つの各々に親和性を持つ潮流は存在している.今や欧米では関係論的経済地理学が主流をなしているが,日本では地域の重層性という視点を持つ地域構造論が優勢をなした.関係論的経済地理学と地域構造論には親和性があるが,各々の独自性もあり,相補うことによってより豊かな経済地理学を構築できるであろう.その際には実体としての地域の存在を明らかにし,それを形成する経済主体の役割を描き,その経済主体が歴史的に育んできた文化を明示的に取り入れることが有効である.

キーワード 経済地理学,関係論的,構造,地域,重層性,主体,文化


資本主義の地理学的再考察

 …… エリック・シェパード

 英語圏における経済地理学研究は,独自かつ競合的な2つのパラダイムによって特徴づけられる.一つはクルーグマン,ベナブルズ,藤田昌久らの経済学者の業績を土台とした地理経済学(geographical economics)であり,もう一つは地理学において主要な位置を占める地理的政治経済学(geographical political economy)である.本稿では後者のアプローチの解説を通じて,資本主義経済を地理学的に考察するとはいかなることか検討を試みる.経済に対する地理学的思考は,商品生産(ただし市場もそれ自体重要な創発的機能であるが)を原動力とした多様な地理に注目することで,地理経済学者の中心的主張の多くに対して異議を唱えることになる.さらに地理学的思考はグローバル化の進む資本主義(その統治形態に関わらず)の社会的・地理的不平等を克服する能力を,本質的に疑問視することになろう.

キーワード:地理的政治経済学,空間・時間性,資本主義,地理学的思想,自然・社会


経済地理学方法論の軌跡と展望

 …… 松原 宏

 本稿の目的は,経済地理学の研究成果の中から方法論的な議論を抽出し,時系列的に要点を整理するとともに,全体を俯瞰することを通じて,方法論の軌跡を描き出し,あわせて,欧米での方法論的議論を参照しながら,日本における経済地理学方法論の特色と問題点,今後の課題を考えていくことにある.

 第2 次大戦後,欧米諸国では,新古典派経済学の立地論や地域科学が発展をみせた.これに対し,日本の経済地理学は,戦前から独自の理論構築の歩みを示し,戦後には近代経済学的経済地理学とマルクス主義経済地理学とが並存してきた.後者はまた,経済地誌,地域的不均等論,法則志向の生産配置論等に分かれ,活発な議論がなされてきた.

 1970年代になると,国民経済の地域的分業体系を解明しようとする地域構造論が登場し,今日まで産業配置,地域経済,国土利用,地域政策の4分野にわたる多くの研究成果を蓄積してきている.

 1990年代以降,欧米諸国では,文化論的転回や制度的転回など,方向づけが目まぐるしく変わってきたのに対し,地域構造論は,立地論や開発経済論のような多様な理論を批判的に吸収することによって理論内容を豊富にしてきた.

 21世紀に入り,グローバル化や情報・知識経済化の下で,日本の経済地理学は,新たな空間的視点や研究枠組みを確立するとともに,方法論的議論の希薄化を克服していく努力が必要である.

キーワード 地域構造,地域的分業,地域問題,マルクス主義経済地理学,立地論


産業地理の現実と経済地理学の視点

 …… 長尾謙吉

 共通論題シンポジウムのテーマ「経済地理学の本質を考える」は,本質主義的な議論に陥る可能性も有する.本稿では,斯学の立ち位置と問題意識を整理し,また隣接諸分野との問題意識の共有や差異を認識し,学問的なアイデンティティを模索するものと,企画の意図を理解する.田村( 2005) は,経済地理学は「第2の危機」にあり,それは経済学からの下請け圧力,異分野からの侵食,一般化視点の欠如にあると述べた.こうした危機意識を基本的には共有しつつ,経済地理学の学問的な特徴と現代的課題について考える.

 本稿が強調する論点は,第1に経済地理学において経験的基礎が極めて重要であること,第2 に「結果」としての地理を論じるだけでなく,「要因」としての地理を探求する観点が大切になってきていること,の二点である.経済地理学会では,旧来の地理学への批判から反映論的な視点が色濃くでた時期もあった.本稿では,社会-空間弁証法的な視点が必要なことを主張し,現代的課題として「距離の死」「地理の終焉」「メガ・リージョン」について例示的に検討し,経済地理学の魅力ある方向性について議論する.

キーワード 経済地理学,地域経済,社会-空間弁証法,距離,メガ・リージョン


経済地理学における制度・文化的視点,ネットワーク的視点,関係論的視点

 …… 水野真彦

 本稿は,この20年ほどの経済地理学の動向をもとに,制度・文化的視点とネットワーク的視点を取りあげ検討し,経済地理学の本質について考える材料とすることを目的とする.まず制度・文化的視点について,特に国もしくは地域など領域の形態をとって現れる制度・文化に焦点をあて,その論点を整理した.次に,領域を越える企業や社会的つながりを強調するネットワーク的視点に注目し検討した.そのうえで,それらを包含する近年の経済地理学の傾向を,企業や個人などアクターの相互関係に焦点を当てる関係論的視点とし,それが今後の方向性として有力なものであることを論じた.

キーワード 制度,文化,ネットワーク,関係論,経済地理学


経済地理学における生態学的認識論と2 つの「埋め込み」

 …… 中澤高志

 本稿では,経済地理学における関係論的視点重視の潮流を生態学的認識論の高まりと捉えた.ブラーシュは生態学を範に採り,科学としての人文地理学の樹立を目指したが,対象を自然的・物的関係に自己限定し,主体と社会環境との相互作用や一般的・普遍的な関係の探求を他分野にゆだねる結果となった.地域構造論は,ブラーシュの「地的有機体」と同様の認識論に立脚しながらも,地域的分業体系の骨格をなす産業配置の側から,経済循環の空間的まとまりである経済地域の生成を説明する枠組みを示した.しかし,現代の経済地理を分析するうえでは限界があり,空間的組織化論の発展によってそれを乗り越えることが期待される.

 「埋め込み」の概念的な検討に際しては,「グラノベッター的埋め込み」と「ポランニー的埋め込み」を峻別すべきである.前者の浸透によって,主体の行為を社会的文脈の中で関係論的に捉える研究は蓄積されたが,一般的・普遍的関係を把握するための方法論的探究が置き去りにされている感がある.その難点を克服するためには,「ポランニー的埋め込み」の議論を摂取して,一般的・普遍的関係に迫りうる分析視角の確立を目指すべきである.以上を踏まえ,労働市場のマクロな分析視角として,労働力需給の空間的ミスマッチ,時間的ミスマッチ,スキルミスマッチの地理的・歴史的変化の把握と,これらミスマッチの制度的克服の解明を提起し,若干の実証的検討を行った.

キーワード 生態学的認識論,関係論,地域構造論,「埋め込み」,労働市場

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