第59巻 第1号
経済地理学年報 Vol.59 No.1
特集 地域格差の経済地理学
「地域格差の経済地理学」の新展開に向けて
…… 豊田 哲也 1 (1)
■ 特集論文
日本における所得の地域間格差と人口移動の変化 ― 世帯規模と年齢構成を考慮した世帯所得の推定を用いて ―
…… 豊田 哲也 4 (4)
金融経済化と地域格差 ―日米を事例とした連結視点からの接近―
…… 山本 大策 27 (27)
大都市圏経済と経済格差 ―研究課題と政策課題―
…… 長尾 謙吉 44 (44)
居住地域の健康格差と所得格差
…… 中谷 友樹・埴淵 知哉 57 (57)
空間的マイクロシミュレーションを用いた小地域レベルでの社会経済格差指標の構築 ―大阪市を事例に―
…… 花岡 和聖・中谷 友樹・田淵 貴大 73 (73)
■ 論説
山梨県富士吉田市における機屋の経営革新と企業間ネットワークの形成
…… 小俣 秀雄 88 (88)
■ 研究ノート
地方鉄道第三セクター化の課題 ―ひたちなか海浜鉄道の事例―
…… 土`谷 敏治 111(111)
高齢期離職就農者による柑橘農業の実態とその意義 ―愛媛県岩城島を事例として―
…… 植村 円香 136(136)
■ フォーラム
2011 年度経済地理学会徳島地域大会報告
「地域への関わりの新たな戦略と課題」
…… 北村 修二 154(154)
■ 書評
平岡昭利(2012):『アホウドリと「帝国」日本の拡大』
…… 荒木 一視 163(163)
■ 学会記事
…… 168(168)
要旨
日本における所得の地域間格差と人口移動の変化 ―世帯規模と年齢構成を考慮した世帯所得の推定を用いて―
…… 豊田 哲也
1990年代以降わが国では世帯所得格差の急速な拡大が見られるが,世帯所得の地域間格差については実証研究が進んでいない.理論面では,地域間格差は累積的因果関係によって拡大するという主張と,市場の調整メカニズムによって収束するという見解が対立している.低所得地域から高所得地域への人口移動は,1人あたり所得の均衡化をもたらしたとしても,人口の地域的偏在を助長し経済規模の格差拡大を招くというディレンマが存在する.現実には,地域の所得水準はそれぞれに固有な地理的諸条件の結果であり,その空間的分布や時間的変化が具体的な地域の構造とどう結びついているかが重要である.本研究では,1993~2008年住宅・土地統計調査のミクロデータを使用し,世帯規模,年齢構成及び物価水準を考慮した都道府県別世帯所得(中央値)の推定をおこなった.その結果,地理的な所得分布は首都圏を頂点に国土の中央部で高く周辺部で低いこと,日本全体で地域間格差はほとんど拡大していないが,順位には東海地方の上昇と近畿地方の下降など変動が見られることが示された.また,所得水準と人口社会増加率との間には正の相関があり,その関係は強まっていることから,低所得地域から高所得地域への人口移動が活発化していることが明らかになった.すなわち,世帯所得の地域間格差は拡大していないが,人口移動が経済規模の地域間格差を拡大していると言える.
キーワード 地域間格差,収束仮説,等価所得,都道府県間人口移動,ミクロデータ
金融経済化と地域格差 ―日米を事例とした連結視点からの接近―
…… 山本 大策
本稿においては,従来の地域格差研究のなかでも,とくに理論的・方法論的な問題に焦点を絞り,今後の研究展開に必要と思われる条件を提案する.基本的な主張は,構造と行為主体の相互関係と変化を重視した制度論,金融経済の影響の考慮,格差動向の国際「比較」だけでなく,格差要因の国境を超えた関係性に注目する「連結視点」の導入によって,経済地理学における地域格差研究の新たな展開を目指すというものである.この主張を実証面から具体化するために,日米の地域格差変動の再解釈を試みる.
キーワード 地域格差,日本,米国,金融経済化,投機的資金,連結視点
大都市圏経済と経済格差 ―研究課題と政策課題―
…… 長尾 謙吉
本稿では,大都市圏の経済活動と経済格差について,6 つの論点から研究課題と政策課題を整理し研究動向を踏まえつつ批判的検討を加えた.
第1は,格差,不平等,貧困という概念の整理と研究意義についてであり,貧困のみを重視せず格差研究との両輪が必要であることを主張した.第2 は,社会的格差と空間的視角についてであり,反映論的な都市・地域研究の問題点を指摘し,弁証法的な観点を取り込む重要性を述べた.
第3は,大都市圏の社会的分極化をめぐり,日本の大都市圏についても分極化の観点だけでなく専門職化など多面的な接近が必要なことを論じた.第4 は,就業,所得,消費の大都市圏内における格差についてであり,包括的指標として所得の重要性は認めつつも,就業,所得,再分配,消費という経済循環の諸側面をより意識する必要性を述べた.また,アメリカ合衆国のように社会的かつ地理的な分極化あるいは分断化が進むのか展望した.
第5 に,所得格差と資産格差との関わりを取り上げた.日本において分極化が明瞭でないのはなぜか,資産の側面から問題を提起した.第6 は,経済格差との関わりからみた大都市圏経済の再編の方向性について展望した.
キーワード 大都市圏,経済格差,地域格差,社会的分極化
居住地域の健康格差と所得格差
…… 中谷 友樹・埴淵 知哉
所得格差に代表される経済的格差は,健康をはじめとする生活の質の格差を生み出すと考えられてきた.本稿では,所得格差と健康格差の関係に着目し,所得階層別の居住者の構成以上に近隣スケールの居住地域間に健康水準の違いを生む居住地域の効果(文脈/近隣効果)が存在するのかを検討した.具体的には,日本全体を対象とする日本版総合的社会調査2000-3累積データと社会地区類型(Mosaic Japan)データを結合し,主観的健康感を規定する文脈効果の存在を,マルチレベル分析を利用して検討した.その結果,以下の諸点が明らかとなった.(1)社会地区類型間では,個人の等価所得水準を調整しても有意な健康水準の地域差が認められ,それはとくに所得階層の低い人々で明確であった.(2)社会経済的な住み分けに対応するような平均所得水準と対応する健康水準の格差の存在も示唆されたが,同時に大都市圏の中心部に位置する社会地区類型のように,所得格差による健康格差を拡大する地区類型の存在が確認された.以上の結果から,日本社会でも居住地域に根ざした文脈効果が存在し,それは健康の地域間格差を生み出す要因であるとともに,健康の社会格差を規定する要因の1 つと考えられた.
キーワード 近隣効果,社会地区類型(ジオデモグラフィクス),日本版総合的社会調査(JGSS),主観的健康,所得格差
空間的マイクロシミュレーションを用いた小地域レベルでの社会経済格差指標の構築 ―大阪市を事例に―
…… 花岡 和聖・中谷 友樹・田淵 貴大
本研究の目的は,空間的マイクロシミュレーションを用いて,小地域別の地理的社会格差指標を構築することである.具体的には,『平成19年国民生活基礎調査』ミクロ(個票)データから,『国勢調査小地域集計』と整合する疑似的な世帯ミクロデータ(合成ミクロデータ)を生成し,社会格差指標の代表として家計支出額の地理的分布を推定した.
生成された合成ミクロデータの推定精度を,①制約変数とした国勢調査との整合性,②複数セット間での適合度指標および家計支出額の変動,③集計レベルでの整合性から評価した.その結果,世帯・人口構成が著しく偏った一部の町丁目を除き,対象とした町丁目の大部分において,国勢調査との整合性の高い合成ミクロデータが得られた.また同一町丁目で複数セットの合成ミクロデータを生成したところ,国勢調査との整合性はいずれの試行でも高く,家計支出額の変動も小さかった.加えて,大阪市全域での家計支出額階級別世帯割合において,国民生活基礎調査と合成ミクロデータの世帯分布はほぼ一致し,同調査の世帯主年齢20-30歳代の無回答世帯が拡大補正された結果が得られた.
空間的マイクロシミュレーションの合成ミクロデータに基づく小地域別の社会格差指標は,地域や個人の健康水準,犯罪率,消費行動を説明する上でも,操作性の高い指標として有用と考えられる.
キーワード 空間的マイクロシミュレーション,地域格差,小地域推定,国民生活基礎調査,国勢調査
山梨県富士吉田織物産地における機屋の経営革新と企業間ネットワークの形成
…… 小俣 秀雄
本稿は,新製品開発によって経営革新を成し遂げた機屋と産地との相互の関係に注目して,山梨県富士吉田織物産地の革新性について検討することにより,産地の持続的なあり方を展望することを目的とした.
本稿で新製品開発による経営革新の事例として取り上げたM機屋は, 生産手段を持たずに,デザイン企画機能に特化して製品の提案を行う「テーブル機屋」という形態である.M機屋による新製品開発とそれによる経営革新には,企業独自の努力や論理が強く作用しているが,M機屋の要求に対応できる産地内の外注業者の技術レベルやそれらの業者の空間的近接も重要な成功要因であった.また,新製品が開発されるプロセスにおいて,外注業者のグレードアップや技術的範囲の拡大も見られた.これらのことから,個別機屋の新製品開発は産地と個別機屋に相互効果を及ぼすことが明らかとなった.
現在の富士吉田産地においては,政府の施策を直接的契機として,性格を異にする企業の共同化が複数興っており,M機屋はこれらの企業間ネットワーク同士の結節点をなしている.かくして富士吉田産地では重層的・広域的で複雑な企業間ネットワーク構造により,M機屋の経営革新に関するノウハウの,他の機屋への伝播を促すソフトな仕組みが形成されつつある.これを産地全体のなかで位置づけると,従来の下請け的な構造のなかに,企業間の水平的ネットワークによって自立的な経営を目指す部門が生成しつつあり,二重構造的である.このような二重構造の深化は,富士吉田織物産地の持続的な在り方の1つの方向であるといえる.
キーワード 織物産地,産業集積,テーブル機屋,甲斐絹,企業間ネットワーク
地方鉄道第三セクター化の課題 ―ひたちなか海浜鉄道の事例―
…… 土`谷 敏治
本稿では,地方鉄道が第三セクター化される際の課題や問題点について,ひたちなか海浜鉄道を事例として検討した.具体的には,利用者に対して,乗降駅と乗車券の種類を特定した旅客流動調査を実施するとともに,属性,利用目的・利用頻度などの特色,同鉄道に対する評価について,利用者アンケート調査を実施した.また,市民の認識・評価については,市域全体を対象に市民アンケート調査を実施した.
その結果,同鉄道は,勝田・那珂湊間の利用者が全利用者の半数程度を占め,とくに勝田乗降客の半数以上はJR線乗り継ぎ利用者で,その最大の目的地が水戸であることから,JR線をはじめとする地域の交通機関の連携が必要である.とくに,施設などハード面だけでなく,運行ダイヤや運賃制度などソフト面も含めた連携が重要であり,ヨーロッパにみられる運輸連合の導入が将来的な課題である.利用の中心は,沿線居住者や沿線に立地する高校への通学者で,それら利用者の利便性向上が重要であるが,土・休日を中心に相当数の観光客の利用がみられ,地方鉄道にとっては観光利用促進も経営上の課題である.市民の評価では,沿線と沿線以外で地域差はあるものの,財政的支援,今後の存続ともに市民の支持がえられていることが明らかになった.その背景には,広報紙や一般紙を通じた市民に対する行政の積極的な広報活動があり,その継続が求められる.このようなひたちなか市の事例は,公共交通機関の存廃問題を抱える多くの地域で参考になるだろう.
キーワード 第三セクター鉄道,旅客流動,アンケート調査,利用者の特色,市民の評価
高齢期離職就農者による柑橘農業の実態とその意義 ―愛媛県岩城島を事例として―
…… 植村 円香
本稿では,高齢化の進んだ柑橘の小規模産地である愛媛県上島町岩城島を事例に,兼業農家の世帯主が高齢期に定年退職を経て就農する現象に注目し,彼らの農業経営の実態とその意義を論じた.
上島町岩城島の主な産業は柑橘農業と造船業であり,造船業は1960年頃から柑橘農家の世帯主の主要な兼業先となってきた.岩城島では,1972年の温州みかん価格の下落以降,主に八朔への転作が進んだが,その後,八朔価格が下落する中で,1980年代にはレモン,1990年代以降には「せとか」,「はれひめ」など多様な新品種が島内の県試験場の分場を通じて導入された.
こうした新品種の導入と世帯主の就農の関係を分析するために,岩城島北部の小漕集落の農家18戸に聞き取りを実施した.その結果,兼業農家の世帯主が2000年頃に高齢期を迎えて就農した事例が多く,就農後,積極的に新品種を導入していること,新品種は収量が少なく,栽培面積当たりの収益性は高くないこと,高齢農家にとっての新品種の導入は,生計維持の手段だけではなく,みかんや八朔などの既存品種よりも難しい栽培技術への挑戦であることや,親戚に裾分けして喜ばれるといったことがモチベーションとなっていることが明らかになった.
こうした岩城島のような高齢化の進んだ小規模産地における新品種の導入は,専業農家も多い大規模産地が新品種を導入する際のリスクを最小限に抑えるための試験装置としての役割を果たしているといえる.
キーワード 高齢期離職就農者,生きがい,柑橘農業,新品種,岩城島