第57巻 第1号

経済地理学年報 Vol.57 No.1

特集 水資源・環境政策と地域社会

「水資源・環境政策と地域社会」特集の発刊にあたって
 …… 伊藤達也 1 (1)

■ 特集論文

日本における水資源管理の特質と課題
 …… 秋山道雄 2 (2)

ダム計画の中止・推進をめぐる地域事情
 …… 伊藤達也 21 (21)

工業・都市の変容からみた都市用水と水資源開発 ―木曽川水系を事例として―
 …… 富樫幸一 39 (39)

衛星都市の水道事業における水源確保 ―兵庫県宝塚市を事例に―
 …… 矢嶋 巌 56 (56)

溜池の存続とその維持管理をめぐる取り組み ―兵庫県東播磨地域を事例として―
 …… 南埜 猛 75 (75)

■ 学会記事
 …… 90 (90)

要旨

日本における水資源管理の特質と課題

 …… 秋山道雄

 日本では,近世末には河川の渇水流量のほとんどが農業用水部門によって取水され,かつ水利紛争を調整するための水利秩序が成立していた.近代以降,河川から新たに取水しようとする主体は,渇水増強を図ることなしには,河川水利に参入できなかった.ダムは,利水部門において渇水増強機能を果たすだけでなく,洪水調節機能や電気エネルギー生産機能を発揮するため,第二次世界大戦後,多目的化して河川政策に導入されてきた.ダムが環境と社会にあたえる影響について,「科学・技術」と「価値意識・価値観」の双方から,導入時と今日とでは評価が大きく異なるようになった.さらに水需要の鈍化傾向が定着して,水資源政策は転機を迎えている.

 本稿では,資源論が蓄積してきた資源管理の視点と枠組みに依拠して,水資源政策がこれまで抱えてきた問題を整理し,今後のあり方を考察した.ジンマーマンの資源概念と資源研究の成果によれば,社会的存在としての水は生産資源と環境資源という二面性を帯びていることを確認し得る.現代の日本では,資源価値の発見から利用に至るプロセスが複雑化しているので,資源管理を構想するためには,研究対象を資源分析・資源評価・資源利用というカテゴリーに分け,各カテゴリーにおける成果を統合することによってその意図を達成し得る.資源価値の多元化が進む今日では,環境資源をベースにした資源管理によって問題の解明が進むことを示した.

キーワード 水資源,資源管理,水資源開発,環境資源,資源価値


ダム計画の中止・推進をめぐる地域事情

 …… 伊藤達也

 ダム・河口堰計画は現在,大きな転換点に差しかかっている.政府自らがダム・河口堰計画の総点検を開始し,計画中止の手続きに取り組み始めた.これまで利水面の根拠であった将来的な水需要増加は,現在,その根拠を失っている.治水面でもダムの限界が強く意識されるようになった.ダムによる便益はいよいよ小さくなり,ダムの受益地域であった下流地域は過重な費用負担によって受苦地域化している.さらに上流山村地域は地域の存続をかけて多くの苦難と向き合っており,ダム計画はそうした山村地域をさらに苦境へおとしめる手段になっている.

 ダム計画の中止を巡っては自治体間で対応に差が出ている.川辺川ダム計画では熊本県が中止の立場にあるのに対して,八ッ場ダム計画では関係都県がダム計画推進の立場を崩していない.木曽川水系連絡導水路計画では関係自治体が対立している.関係自治体の対応差は政府・自治体河川官僚がダム・河口堰策に代わる政策を有していないことによる.国交省に政策として耐えられるレベルのダム・河口堰代替策の作成を義務づけることが必要である.ダム・河口堰問題の中で取り残されてきた上流山村地域に対しては,計画中止を巡って焦点化されている地域への迅速な対処と,将来的にはダムを介在しない上・下流地域関係の構築が求められている.

キーワード 川辺川ダム,木曽川水系連絡導水路,森林・水源環境税,脱ダム,八ッ場ダム


工業・都市の変容からみた都市用水と水資源開発 ―木曽川水系を事例として―

 …… 富樫幸一

 21世紀に入って先進諸国では河川流域の環境保全と財政危機の2つを軸として,ダムの中止や撤去に向かって転換した.日本でも長良川河口堰問題をはじめとして社会的に大きな議論を呼び,「ダムによらない治水・利水」の検討が始まっている.このためには,まず水資源開発の現状や計画について,政策,法,実際の計画作成のプロセスから批判的に捉えておく必要がある.全国レベルの動きとローカルな水資源問題を相互に関連させて捉えつつ,情報公開や市民参加などの新しい流域ガバナンスが模索されている.第二に,産業構造の転換と人口減少社会への移行のなかで,水需要の減少と維持管理,ダウンサイジングをにらんだ水資源管理への大きなシフトが必要になっている.第三に,河口堰,ダムなどの水資源事業の必要性やそれをめぐる批判において,費用便益分析やアロケーション,国・自治体の財政や地方公営企業の経営を分析,評価しなければならない.

キーワード 水資源開発,木曽川水系,産業立地,水道用水,流域ガバナンス


衛星都市の水道事業における水源確保 ―兵庫県宝塚市を事例に―

 …… 矢嶋 巌

 京阪神大都市圏の衛星都市である兵庫県宝塚市を事例に,水道事業の展開とその要因を明らかにした.とくに,多様な水源開発の背景と,農業水利組織や水道用水供給事業との関係性に注目した.

 宝塚は明治中期以降に温泉観光地,郊外住宅地として発展し,私設水道が多数敷設されていた.

 1950年代前半に,宝塚市の母体となる二つの村に公営水道が敷設された.1954年に合併で宝塚市が成立すると,公営水道と私設水道の統合が進められた.1960年代前半は人口急増で水需要が増大し,水源が増強された.水源はおもに浅井戸や灌漑用水からの分水に求められたが,下流域の農業水利組織との交渉と補償が必要であった.水源に問題が起こると,表流水の無許可取水が行われた.他市からの分水や深井戸も水源とされた.

 1960年代後半から70年代前半にかけての人口急増による水需要に対して,ダムを水源とする県営水道用水供給事業からの受水に求めることとなったが,その建設が延期されたため,独自にダムを建設するなどして対応した.新たに深井戸水源も増設されて水源に余裕ができ,県営水道用水供給事業からの受水は延期された.

 1990年代前半以降も人口の漸増が続くが,水需要は停滞・漸減傾向にある.県営水道用水供給事業からの受水が開始され,受水量が増加されてきた.列島渇水時にはダム水源からの供給が制限された.近年の少雨傾向や施設の老朽化のため,受水量の増量や受水先の複数化などによる水源の安定的確保が課題である.

キーワード 衛星都市,水源,水道事業,水道用水供給事業,農業水利組織


溜池の存続とその維持管理をめぐる取り組み ―兵庫県東播磨地域を事例として―

 …… 南埜 猛

 本稿は,日本有数の溜池灌漑卓越地域であり溜池の潰廃問題でも大きく取り上げられてきた兵庫県東播磨地域を研究対象とする.同地域における長期間にわたる溜池の動向を検討するとともに,現在,進められている溜池に係わるプロジェクトや新しい溜池の維持管理組織を考察した.

 工業化・都市化ならびに農業の低迷・衰退により,1960年代と1970年代前半に溜池の潰廃が急激に進み,ほとんどの小規模の溜池は埋め立てられた.しかし1970年代後半以降においては,大規模な溜池の潰廃は少なかったことが明らかとなった.溜池の潰廃を促してきた外的要因としての工業化・都市化の影響は,経済の低迷や少子化社会への移行により低下すると予想される.また内的要因である農業の低迷・衰退傾向は今後も続くと考えられる.しかし,地域住民の溜池の多面的機能への認知や地域資源としての評価が高まっている.今後は,溜池の潰廃は少なく,現存の溜池は存続していくものと考えられる.

 東播磨地域では,「いなみ野ため池ミュージアム」の取り組みを通して溜池への関心を高めるとともに,50を超えるため池協議会が設立されている.ため池協議会は,農家だけでなく地域の自治会や学校,企業・NPOなども参加する新しい形の維持管理組織である.現時点でため池協議会は,まだ模索段階にある.歴史的実験ともいえるため池協議会の今後の動向に注目したい.

キーワード 溜池,多面的機能,地域資源,いなみ野ため池ミュージアム,ため池協議会

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